令和 — 新時代の幕開けに思うこと— 英語学習メンターになる!

こんにちは、marukoです。



ついに令和の時代がやってきましたね。みなさんは何か自分に変化を感じているでしょうか?



私は個人的な暮らしの中にはまだ特に変化も感じず、最初はテレビを朝つけて『ああ、平成から令和に変わったのだな。』と思ったくらいでした。



その後、長女(うぴ1号)と近所のガストに早めのランチへ。GW中ということもあってか、店内は人もまばらでゆっくりランチ&読書を楽しみたかった私たちには好都合でした^_^



食事を済ませ、コーヒーを飲みながら今日という日=『令和の始まり』について少し考えてみました。



令和の始まりが自分にって何を意味するのか?


もしかしたら、このように言い換えたほうがしっくりくるかもしれません。


今日という日=『令和の始まり』に自分にってどのような意味を持たせたいか?



気持ちの上では、まるでお正月がもう一度やって来た感覚です。新年に書いた『叶えるリスト』はノート見開き2ページにもう収まりきらないほどですが、今日新たに決意として新たなリストを書き加えたいと思います。



英語学習メンターになる



私の心に半年程前から居座り続けているものです。私の英語力は決して高くなく、指導者としてのキャリアも長くはありません。


ですが、こんな私でも誇れるものが一つあります。それは、


英語学習をほぼ7年間毎日続けているということ。


インフルエンザにかかったとき、高熱でうなされながらも頭は無意識に自分の気持ちや状態を英語で考えてました。これは、やらなくてはという強制される気持ちよりもやりたい、勉強したい、新しいことを学びたい気持ちが溢れてきてどうしようもなかったからです。


英語を勉強することは私の日常生活では全く必要のないものでした。実際、勉強のスタートは趣味のゴスペルを英語でうまく歌いたい、という理由でしたし(^^;;



それがいつからか、英語で新しいことを学び、他の国の人々と互いの気持ちや考えを共有するうちにどんどん自分の価値観が変わってきて人生の意味を考えるようになったのです。



今まで、他人から見た『私というものはこうである』という枠から飛び出すことを恐れ、周りからの評価を恐れ、自分の心が喜ぶことをしていなかった私。



英会話でお世話になっている様々な国籍の先生たちは私よりもずっと若いですが、自分というものを持ち、恐れや不安に対処する術を知っていました。そして過去にすがりつくでもなく未来をただただ渇望するでもなく、何よりも今をしっかりと生きています。


英語学習を通して、そんな彼らの精神をも学び、私はただ単に英語スキルを向上させるだけでなく自分自身も向上させることができました。



私の周りにはお子さんの英語教育に熱心なママも多いです。そして、自分も英語を話せるようになりたいという方もたくさんいます。


私が英語を話せることを知ると、ママたちは『いいなぁ、私にも教えて!』と言います。私は、英語が話せることの素晴らしさを身をもって知っているのでそんな時は喜んでお手伝いしたいと思っています。


でも結局その後、彼女たちが私に何か聞いてくることもなく、私も聞かれてもいないのに提案できることもなくいつも悶々としていました。



英語学習に限らず、なんでもはじめの一歩が踏み出せない。私もそうでした。


でも、その一歩を踏み出した時人生はどんどん変わっていくのです。


もちろん、いいことばかりではありません。変化には時に痛みも伴います。でも、人生は一度きり。死ぬ時に『出来たのにやらなかった』ことを後悔したくない、私はそう思うようになりました。



何も死ぬ覚悟をして英語学習をスタートする必要はありません。英語を学びたい理由は人それぞれ。私は一人一人にあったスタイルで末長く、人生を彩るスパイスとしてぜひ英語学習を提案したいとおもっています。



ずいぶんと熱く語ってしまいましたが、これが私が令和の始まりに決意した



英語学習メンターになる


ということです。



そのためには、まだまだ勉強することもたくさんあります。あきらめず、ただひたすらに前を向いて自分の道を進む。


いつか、私のブログを読んで英語学習を始めたいと思ってくださった方のお手伝いをすることも私の叶えたいリストに加えたいとおもいます^_^



以上、令和の始まりに私が思うことでした。



あなたにとって今日という日はどんな日でしょうか?



最後まで読んでいただきありがとうございました♬